獨處

軽雲に蔽われた月のように髣髴~
陳思王・洛神賦から

入隴

倅に力なく暗愚であればこれを斬り~
三国志・蜀書二:若嗣子可輔,輔之;如其不才,君可自取。

朱公

好謀無決
三国志・魏書六:表跨蹈漢南,紹鷹揚河朔,然皆外寬内忌,好謀無決

美知勇でもそうなのでしょう
漢の大将軍衛青は奴婢だった時代のことが良く頭に残っているのかあれだけ功績があっても遜ってばかりで兵の人気はいまいちだったのに対して、驃騎将軍霍去病は兵の事を慈しまなかったが人気があった。

飢饉のときにもし父が不肖であれば
三国志・魏書十二:又言若遭饑饉,而父不肖,寧贍活餘人

鬼士

それと共に紅珠の事を起こさぬように自らの寝衣の袖を断った麗月
漢書・佞幸伝:常與上臥起。嘗晝寢,偏藉上袖,上欲起,賢未覺,不欲動賢,乃斷袖而起。
この断袖と後に出てくる龍陽は共に男性同性愛を指す言葉としても用いられる。

それぞれ三軍一万五千、四軍二万に召集をかけております
孫子の魏武註部分に司馬法曰萬二千五百人為軍とあるがこれは周制、つまり戦車の時代なので降ると小さくなりそうなものである(態々魏武帝が司馬法曰と言っているあたりもそのような気がしなくもない)。例えば于禁が樊城で水没した際だが于禁伝では「禁等七軍皆沒」とあり、呉主伝では「羽以舟兵盡虜禁等步騎三萬送江陵」とあり、溺死した分を考えても周制より少なそうなものである。ただ諸葛誕の反乱においては、王基伝で「大將軍司馬文王進屯丘頭,分部圍守,各有所統。基督城東城南二十六軍」とあり、諸葛誕伝では「大將軍司馬文王督中外諸軍二十六萬衆,臨淮討之。大將軍屯丘頭。使基及安東將軍陳騫等四靣合圍,表裏再重,壍壘甚峻。」とあって、全軍が二十六万で包囲の東と南で二十六軍だとするとやっぱ五千程度なのでは感がある。作中では五人で伍、二伍で什、五什で隊(五十人)、五隊で曲(二百五十人)、四曲で部(千人)、五部で軍(五千人)にしてある。

大蛇

軍楽を絶やすな!
三国志・呉書十:寧厲聲問鼓吹何以不作,壯氣毅然,權尤嘉之。

勇気は将の素質ではあるが臆病さも持て。
三国志・魏書九:為將當有怯弱時,不可但恃勇也。將當以勇為本,行之以智計;但知任勇,一匹夫敵耳。

荀令

小鮮を烹る
老子河上公章句:治大國者若烹小鮮。

聖人でなければ太平の世を作り上げることは出来ない~
三国志・魏書十五:鍾繇、王粲著論云:「非聖人不能致太平。」朗以為「伊、顏之徒雖非聖人,使得數世相承,太平可致」

霍の文王のように十九年後に公を追い払う
晋の文公

人を殺して人を安んずれば之を殺すは可なり
司馬法・仁本:殺人安人,殺之可也;攻其國愛其民,攻之可也;以戰止戰,雖戰可也。

外愚内智、外怯内勇
三国志・魏書十:太祖每稱曰:「公達外愚内智,外怯内勇,外弱内彊,不伐善,無施勞,智可及,愚不可及,雖顏子、寗武不能過也。」

美男破老
戦国策・秦策:荀息曰:『周書有言,美男破老。』乃遺之美男,教之惡宮之奇。宮之奇以諫而不聽,遂亡。

特に武帝は多くの美男子を寵愛し、これらは東の砂漠を駆け胡を討つ名将となったり~
韓嫣はそうなれませんでしたね……。ちなみに金日磾の一族は武帝、昭帝に寵愛され、その子孫の金禕は漢に殉じた。

若い美男子を寵愛するあまりこれを高い位に付け
董賢。晋の狐突の好外則相室危よろしく、哀帝に諫言した丞相は死ぬわ、終いには王莽に簒奪されるわもうめちゃくちゃだよ……

火は恐ろしく~
韓非子・内儲説上:夫火形嚴,故人鮮灼;水形懦,人多溺。

殿上に臣下が寸尺を持って上ることが出来ず~
史記・刺客列伝:而秦法,群臣侍殿上者不得持尺寸之兵;諸郎中執兵皆陳殿下,非有詔召不得上。

阿亮に非ずや!
三国志・呉書九:肅拊蒙背曰:「吾謂大弟但有武略耳,至於今者,學識英博,非復呉下阿蒙。」

巡隴

幾人かの老いた姿の仙人が描かれた絵画を眺めながら神仙について議論をしていた~
三国志・呉書十二:權與張昭論及神仙,翻指昭曰:「彼皆死人,而語神仙,世豈有仙人也!」權積怒非一,遂徙翻交州。
直言クソジジイ虞翻すき。このあと辺境で学問三昧の日々を過ごすの笑う。

老いた姿の仙人たちの宴会に誘われたが~
太平広記・神仙八:於是乃有八公詣門,皆鬚眉皓白~
淮南子の作者劉安の逸話。このくだりはもとは捜神記にあったものである。

呉水

子は釣りをすれど網を撒かず
論語・述而:子釣而不綱,弋不射宿。

出鍾陰行

敵国滅びて謀臣殺さる
韓非子・内儲説下:狡兔盡則良犬烹,敵國滅則謀臣亡。
越の范蠡の言葉を引いたもの。犬以降の下りは書によって結構違うよね。

ほう、乱世であればなんとも危うい立場ですな。
弥子瑕、鄧通、韓嫣、董賢、孔桂、曹肇、韓子高と国君の彼氏たちの末路はだいたいしょうもない。

牽牛織女遥相望
魏文帝・燕歌行の引用。

短刀を取り出してその長い黒髪の肩より下を切り落としてしまった。
親からもらったものを粗末にしてはいけないとされていたので、髪を切ることは堅い決意を表している。
ちなみに曹休を騙すために周魴が髪を剃ったという逸話は三国志演義での脚色、ほんへではクソ長手紙を送り付けている。

飛隴連合

利を見るは大人なり
周易・繫辭下:子曰:「小人不恥不仁,不畏不義,不見利不勸,不威不懲,小懲而大誡,此小人之福也。
反語。

目に秋毫の末を察すれば~
淮南子・俶真訓:夫目察秋毫之末,耳不聞雷霆之聲。

朱ネキのクソ長手紙
三国志・蜀書十の劉封伝にある孟達のお手紙。蜀を出る喜び。

自分の子を太子にしようと目論む父の寵姫から叛意ありとの讒言を受けて死を賜りました
晋の申生。

美しいと思えば妹であっても孕ませ~
斉の襄公と桓公のくだり。斉のイカれたメンバーを紹介するぜ、襄公、公孫無知!状態からどうにかした菅仲、鮑叔とかいうレジェンド。孔丘からいろいろ言われたりしてるけど、桓公九合諸侯,不以兵車,管仲之力也。如其仁!如其仁!(仁とは言っていない)から滲み出る複雑な感情

狡兎死して良狗烹らる
史記・越王句踐世家:范蠡遂去,自齊遺大夫種書曰:「蜚鳥盡,良弓藏;狡兔死,走狗烹。

七つの計
孫子・始計:故校之以計,而索其情。曰:主孰有道,將孰有能,天地孰得,法令孰行,兵眾孰強,士卒孰練,賞罰孰明,吾以此知勝負矣。
孫子は気づかないうちに使ってるので抜けがありそう。それにしてもまた朱ネキは厭味言ってんな

智将は務めて敵に食む
孫子・作戦:故智將務食於敵,食敵一鍾,當吾二十鍾,𦮼秆一石,當我二十石。

斉陵

優れた将というものは国家の大事に於いてはそのような些事を顧みぬものだ
三国志・魏書十八:進、典、遼皆素不睦,遼恐其不從,典慨然曰:「此國家大事,顧君計何如耳,吾不可以私憾而忘公義乎!」乃率衆與遼破走權。

天に朱公が無ければ~
三国志・魏書九:洪曰:「天下可無洪,不可無君。」

三顎

賞罰を用いて兵を動かすのは徳が失われたからである
司馬法・天子之義:周以賞罰,德衰也。

三日五百、六日千
三国志・魏書九:典軍校尉夏侯淵,三日五百,六日一千。
この時代の一里は400 mくらい。荀子とかによると普通は一日三十里程度。
ちなみに夏侯淵の一日70 km程度というのは西洋の強行軍とだいたい同じ。

その中で大地が球である事に令が気づいたため
晋の裴秀の測量法だと正距円筒図法もしくはサンソン図法に近いものとなる。ただ、裴秀の手法による測量で得た正方形は南北で正しく合わせることができないため、そこで気づくことができる。ちなみに漢の張衡は月が球体であり、太陽の光を反射することで輝いているとしていて、さらに月蝕の仕組みを理解していた。晋代くらいを考えているけど、それくらいの時期であっても気付く素地はあるだろう。

河潰蟻孔端、山壊由猿穴
韓非子・喻老:千丈之隄以螻蟻之穴潰
を引いた孔融・臨終詩の引用。

我固当死
史記・白起王翦列伝:武安君引劍將自剄,曰:「我何罪于天而至此哉?」良久,曰:「我固當死。長平之戰,趙卒降者數十萬人,我詐而盡阬之,是足以死。」

大量の捕虜を崖から突き落としていた
史記・項羽本紀:於是楚軍夜擊阬秦卒二十餘萬人新安城南。
阬が分かりづらいが、穴に突っ込む的な意味で使われているので地形を考えると崖から突き落としたと取る方が妥当だとされている。

渡水行

ある将が人肉を好んでいた事を知ってこれを蔑み
三国志・魏書一:五官將知忠甞噉人,因從駕出行,令俳取冢間髑髏繫著忠馬鞍,以為歡笑。

鶏を割くのに牛刀を用いる
論語・陽貨:夫子莞爾而笑,曰:「割雞焉用牛刀?」

微積分
魏の数学者・劉徽はCavalieri's principleを用いている。これは近代求積法につながる。

座した処、三日香る。
襄陽記:季和曰:荀令君至人家,坐處三日香

示武劉

先為不可勝、然後戦
三国志・魏書十七:性儉約畏慎,將軍常遠斥候,先為不可勝,然後戰,追奔爭利,士不暇食。

旗を持った兵が駆けまわり
李衛公問対・巻中:太宗曰、曹公新書云、作陣対敵、必先立表引兵就表而陣。
どうも南宋で作られた本に思える。李世民は晋書の編者の一人なのに歴史認識が間違ってる箇所が散見されるし李靖の言に違和感がある。

容貌魁偉で眉目麗しい彼らを気に入った武帝が韓の地に住まわせた
漢書・霍光金日磾列伝:日磾長八尺二寸,容貌甚嚴,馬又肥好,上異而問之,具以本狀對。上奇焉,即日賜湯沐衣冠,拜為馬監,遷侍中駙馬都尉光祿大夫。
またホモ武帝か壊れるなぁ……

広肥

兵は神速を貴ぶ
三国志・魏書十四:嘉言曰:「兵貴神速。今千里襲人,輜重多,難以趨利,且彼聞之,必為備;不如留輜重,輕兵兼道以出,掩其不意。」

火の如く攻め、数多の夷狄を屠り、そして脱兎の如く引くのだ!
孫子・軍争:侵掠如火
孫子・九地:是故始如處女,敵人開戸,後如脱兔,敵不及拒。

戎車とそれに随伴する歩兵百五十の集団がぶつかり合う会戦であった。
李衛公問対:巻上:謂、百人曰卒、五十人曰両。此是毎車一乗、用士百五十人。

蒲萄酒

蒲萄。
現存してないけど芸文類集とか太平御覧とかにのこってるアレ:魏文帝詔群臣曰:中國珍果甚多,且復為說蒲萄。當其朱夏涉秋,尚有餘暑,醉酒宿醒,掩露而食。甘而不饣肙,脆而不梳,冷而不寒。味長汁多,除煩解饣肙。烏縣切。又釀以為酒,甘於麹蘗,善醉而易醒。道之固以流涎咽唾,況親食之耶?他方之果,寧有匹之者!

亜瑠和

学びて思わざれば則ち罔し
論語・為政:子曰:「學而不思則罔,思而不學則殆。」
これすき

瑜国の媚少年柳陽君は王と魚釣りに出掛けた際に涙しました
戦国策・魏策:魏王與龍陽君共船而釣,龍陽君得十餘魚而涕下。王曰:「有所不安乎?如是,何不相告也?」對曰:「臣無敢不安也。」王曰:「然則何為涕出?」曰:「臣為王之所得魚也。」王曰:「何謂也?」對曰:「臣之始得魚也,臣甚喜,後得又益大,今臣直欲棄臣前之所得魚也。今以臣凶惡,而得為王拂枕席。今臣爵至人君,走人於庭,辟人於途。四海之内,美人亦甚多矣,聞臣之得幸於王也,必褰裳而趨王。臣亦猶曩臣之前所得魚也,臣亦將棄矣,臣安能無涕出乎?」魏王曰:「誤!有是心也,何不相告也?」於是布令於四境之内曰:「有敢言美人者族。」
美少年の色仕掛けにやられる典型的なバカ殿

国君が女色を好めば太子が危うくなるというのは尤もだわ。
韓非子・内儲説下:狐突曰:「國君好内則太子危,好外則相室危。」
外は男色を表すこともある字である、例えば情史類略・情外類では明代までの寵幸エピソードが載せられている。ちなみに情外類に於いて漢孝武は韓嫣、金日磾の二人の子、李延年の三エピソードに現われ最多出場を果たしている、男にも女にも全力投球である。
ちなみにこれは韓非の脚色である。國君が好色だと世継ぎ争いがおこるとは言っているが、男色好きだと男たちが権力争いをし始めるとは言っていない。
国語・晋語一:至于稷桑,狄人出逆,申生欲戰。狐突諫曰:「不可。突聞之:國君好艾,大夫殆;好内,適子殆,社稷危。若惠于父而遠于死,惠于眾而利社稷,其可以圖之乎?況其危身于狄以起讒于内也?」
この諫言で申生の嫌疑を買った狐突は門を閉じて引きこもった。申生は驪姫の讒言で死ぬことになってかわいそうとは思うもののそもそも割とアレなところがある。

唇が亡びて歯寒しと聞きます
韓非子・喻老:大夫宮之奇諫曰:「不可。脣亡而齒寒,虞、虢相救,非相德也。今日晉滅虢,明日虞必隨之亡。」
美男破老といい、璧といいこいつは……
ちなみに先秦の書で他にも沢山出てくる。

荀天女

妾が祀られている地方があると言う
甘寧信仰とかあったりするらしい

隴国に移り住む時には一万余の民が集いこれを見送ったと言う。
満寵かな?

獨り女のみが色を以て媚びるに非ず、士と宦にもまた之有り
史記・佞幸伝:非獨女以色媚,而士宦亦有之。

倡家の者たちが演奏を間違えるたびにそちらを見たものだから
三国志・呉書九:瑜少精意於音樂,雖三爵之後,其有闕誤,瑜必知之,知之必顧,故時人謠曰:「曲有誤,周郎顧。」

長城

数百里に渡る偽の城を延江に沿って建てる
三国志・呉書十:後魏文帝大出,有渡江之志,盛建計從建業築圍,作薄落,圍上設假樓,江中浮船。諸將以為無益,盛不聽,固立之。文帝到廣陵,望圍愕然,彌漫數百里,而江水盛長,便引軍退。諸將乃伏。

神速

兵の拙速は聞くも巧の久は未だ睹ず
孫子・作戦:故兵聞拙速,未睹巧之久也

沙漠行


春秋左伝・閔公二年:冬,十二月,狄人伐衛,衛懿公好鶴,鶴有乘軒者,將戰,國人受甲者,皆曰使鶴。鶴實有祿位,余焉能戰?
どうもこの衛懿公の子にはアレなのがいたようで、菅仲死後の斉で奸臣として活躍し後継者争いを勃発させ斉桓公の死体が放置される原因を作ったりしてた模様

瑕の母が病に伏せたとき、彼は君命を偽り君車に乗ったが
韓非子・説難:昔者彌子瑕有寵於衛君。衛國之法,竊駕君車者罪刖。彌子瑕母病,人閒往夜告彌子,彌子矯駕君車以出,君聞而賢之曰:「孝哉,為母之故,忘其刖罪。」
左伝によると彌子瑕は兵を率いて戦ってたりする。

服従

その夭夭たるは桃李の花
阮籍・詠懐詩:昔日繁華子,安陵與龍陽。夭夭桃李花,灼灼有輝光。悅懌若九春,磬折似秋霜。
これは詩経・桃夭の本歌取りである。桃夭は嫁入りの歌であるが、ショタコン白眼視ニキは自分の性癖を開陳し美少年との愛を歌った

聖戦

矍鑠
後漢書・馬援列伝:時年六十二,帝愍其老,未許之。援自請曰;「臣尚能被甲上馬。」帝令試之。援據鞍顧眄,以示可用。帝笑曰:「矍鑠哉是翁也!」
矍:隹欲逸走也。鑠:銷金也。と年老いているのに、という意味を含まないのが今日ではその意も含むのは馬援の故事に依る。

豈に弧の者の如く假子を愛する人有らんや
三国志・魏書三:朗隨母氏畜于公宮,太祖甚愛之,每坐席,謂賔客曰:「豈有人愛假子如孤者乎?」

太子

円周率
九章算術註・一:以為圓冪,三百一十四寸二十五分寸之四。
取り付くし法、この後に3.1415(9)を出してる。ちなみに九章算術註を読むと分かるがクッソ読みづらい。数学記号の制定は重要なんですね……。図は……Lagrange大先生が必要なのは代数操作だけでいらないっていってるから……

例えば関数の展開を用いた開平方の高精度化は高く評価された
古代中国の開平方はNewton-Raphson法かTaylor展開で導出できる。例えば、f(x)=x1/2としてこれをa2付近で展開して、x=a2+bを代入すると(a2+b)1/2~a+b/2aが得られる。当然だがa2が開平したい数から離れると精度が落ちる、使いづらそう。この場合、同様に二次まで展開しても整数の加減乗除のみで近似値が得られるため展開を用いて精度を上げることができるが当時の技術水準を考えると実用性はどうなんだろ、目を瞑ってね

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