自分でも間違えそう。

史書に残る最古の国。晋陵を都としていた。

抗王:滅びる原因となった暴君。聡明で膂力過人、なおかつ容姿も秀でていて他者が愚者に見えたから暴政を振るうようになった。

曹策:涼の名宰相であったが、愚鈍な長子を廃嫡し、聡明な次男を王に立てて専制を敷いていた。

諡文王が西伯として基礎を築き上げ、それを継いだ武王が涼の抗王を討ち国を建てた。楽平を都としていた。この頃から蛮族が住む地であった飛、紅、董への入植がはじまる。

武王:革命を起こし暴君抗王を討ち国を建てた。

九国

虞も諸侯の力が強くなり韓との戦に敗北し領土を喪い滅びた。その後飛、陶、霍、韓、瑜、隴、汝、紅、董の諸侯がそれぞれ王を名乗り覇を争った。五覇と呼ぶときは飛(隴を臣従させた)、霍(陶を臣従させた)、韓(瑜を臣従させた)、汝、董(紅を臣従させた)である。

桓王:紅の王、兄の厲王は異常な性格で気に入らない者達を次々と殺した為一度国外に逃れるが、その兄が暗殺された後再び紅に戻りこの乱を平定し王となった。治世前半は賢臣を重用したが、晩年は佞臣を重用した。病死しても子供たちが後継者争いに明け暮れたため二月に渡って埋葬されず亡骸は悲惨な状態となっていたとされる。これを岳回は自身の著書で自業自得であったとしている。

文王:霍の王、次子であったが、自らの愚鈍な末子を太子に立てようとする寵姫の讒言でその身に危機が迫り逃げ出し流浪の身となる。十九年後に飛の援助で霍の王になるが、それが仇となり後年、霍は飛に滅ぼされる。

虞斉:陶の王族。太子であったが、父の寵姫によって讒言され死を賜る。父が老齢であったためこれを捨てて亡命する事も出来ず自殺した。

沈丘:徳に基づく統治を説いた遊説家。彼の思想・徳は後の世に大きな影響を齎した。もともとは韓の役人だった。

陸彧:霍の謀臣。子孫には学者・思想家の陸恭いる。三国の陸粛・陸曄は陸恭の後であると自称している。

慶瑜:董の名臣。董の太子を支えて紅の復讐を果たすことに成功させ、董を五覇の一つに押し上げた。しかし高慢になっていく王を見て静かに国をさった。

諸葛越:飛の法家、宰相。法を以てして民を統治し飛の国力を飛躍的に高めた。しかし最後は叛意ありと讒言され、自らの制定した厳しい法が仇となり逃げ隠れることも儘ならず死んだ。

管備:霍の謀臣。陸彧と共に陶の平定や飛、韓との戦で功を挙げるが晩年はその叡智が謀叛の疑いを招き讒言を受けて家に引きこもった。

岳回:隴の公子。文才があり、法に基づいた統治に関する思想を纏めて書に記していた。これは後に岳子法説と呼ばれ多くの為政者がこれを参考にした。直言居士である割に吃音であり蔑まれ飛に逃れるが、飛の佞臣からの讒言を受けて自死する。

程武:紅の名将。彼が記した兵法書、程武子は現在でも広く読まれている。

夏侯子:沈丘が九国時代前半の史を纏めた春秋に注釈をつけた人物。夏侯氏は韓の学者の一族であるが、夏侯註春秋の著者が誰なのかは分かっておらず、数代に渡ってその註釈をしたともされている。

鍾抗:飛の名将。臨機応変の奇策は尽きることを知らず、百戦百勝と謳われ、その武名を天下に轟かせた。ただ彼の武功を妬んだ宰相から讒言を受け王から死を賜った。過去に大勝した際に数十万の兵の兵糧を賄いきれずこれを全て生き埋めにしたことを悔いる言葉を残して自刃したという。


飛国は合理的な統治で国力を高め、霍、韓、汝、紅を支配するまでに至るがその領土拡大が余りにも速すぎたため酷吏の跋扈、苦役、重税で内乱が相次ぎ、飛国は瓦解。最終的に韓の王族霍邦と隴の王族岳覇が二大軍閥を形成するが、霍邦がこれを征し韓帝国を樹立した。

武帝:貴賓を問わず有能な人物を登用し亞と沙を手中に収めた雄材大略の皇帝。ただ、内外どちらも性欲旺盛で寵幸した美男子も多く治世前半は彼の愛する武勇に優れた美男子を将軍として東域への大遠征をおこない版図の拡大とそれにともなう文化の発展を齎したが……こうした人物の晩年はお察しである、また夫人の間の諍いも多かった。

王渙:高祖霍邦の覇業を支えた政治家。類稀な政の才をもって占領地の統治と韓隴戦争の兵站を支え功績第一位とされたが、筆を持って議論をしていただけど軍人に思われることもあった。

徐青:外戚の美青年。徐皇后の弟。東域遠征で大功があった。

甘去病:外戚の美少年、若くして死んだ。が、沙羅尼まで攻め入り王を討つなど神がかり的な強さだった。

哀帝:愛人の若い男を大司馬に据えて夭折。跡継ぎもおらず韓朝を簒奪される原因となる。

霍安:汝王に封せられた皇族で学者でもあり多くの著書を遺した、道教の研究で有名である。

文覇魔:沙国には古代には百余国あったとされるが、そのうちの文爾南という国の王。その軍事手腕は確かで沙羅尼の地を統一し沙教という統治のための一神教を作り出し民を従わせた。だが国の体制が整う前に武帝の遠征軍により攻められて斬られた。

嗣韓

董孟の簒奪で韓は一度途切れている

董孟:外戚、韓を簒奪して帝位を僭称したが、革新的過ぎる制度の刷新で国は混乱し反乱が相次ぎ、光武帝の軍に敗れる。

光武帝:容姿武勇知略人格に優れたレジェンド。大分脚色されてるんだろうけど。

荀沢:荀令の父。中原を離れるほど徳教が染み付いていないので荀令とはあんなかんじだった。

三国

実質的には黒清衆の大規模の乱から始まる内戦。九国と異なるのは、九国の王達がそれぞれ虞の王族に連なっていたが、三国の王たちは韓の帝室の血統ではないということ。

周雲(孟寵):瑜の武王。政略と軍略に優れ、博識であった。朱麗月の旧主にあたる。

周霖:瑜の文王。武王の子。親の才能を良く引き継いでいるのだが、軍略は賛否両論、ただ学問方面は更に上をいった。好悪が激しくその性格はよく後世の歴史家の非難の的になる。

太史仁:武王の股肱、親族にあたる。清廉な人柄が敬愛され、優れた才を持つ余り高慢なものが多かった瑜の諸将も彼には従った。

太史洪:神速の進軍を持て囃された古参の将、太史仁の族弟。勇猛で武功も多くあったが、その分軽率な面があったため、彼の最期はそれが仇となっての戦死であった。

周忠:武王の族弟。攻勢にでれば神速、守勢に入れば鉄壁、無双の将軍でありその武勇を目にした配下からは天人とまで呼ばれるほど。虎嘯騎(鬼士の選抜騎兵)を率いることもあった。

周超:武王の族弟。知勇に優れ武功は確かであり、大商家であったことから財も多く周雲の旗揚げ時の金の出所であった。ただケチでしかも女遊びが酷かった。

李遼:五将軍の一人。董翊という希代の武勇の士に付き従い太祖を苦しめた。苦戦の末に董翊に勝利した太祖はこれを処刑したが李遼のことは助けた。それ以降、瑜の将として多大な戦功を挙げた。

郭惇:五将軍の一人。最も優れた功があり不敗の将だったが、隴から北上する衛晃を食い止める戦線への援軍に向かう際に洪水と土砂崩れに巻き込まれ已む無く降伏し晩節を汚す。北上する衛晃の背から攻め入りこれを討ち破った紅を経由して瑜に帰国したが、文王に罵られ憂悶のうちに斃れた。

関権:五将軍の一人。袁協からの降将。義理固く、慎重な戦を好む。郭惇の後に隴に向けて新兵を連れて援軍に向かった際、衛晃を複雑な機動防御で打ち破った。

魯儁:五将軍の一人。沮圭からの降将。緩急自在、眉目秀麗。博識で学者との交流も好んでいた。

魏進:五将軍の一人。虎牙士(鬼士を選抜した部隊)を率いて幾つもの城に一番乗りを果たし、数多くの武功を挙げた。

陸粛(文恭):その鬼才で武王の覇業を支えた。眉目秀麗で香を好んだ。晩年は、周雲の公就任について仲違いをする、韓朝を立てたとも、一代での統一を諦めることを許さなかったとも(こちらは朱麗月の私見)。

陸曄(公耀):物静かだけど頭が凄まじく切れる兵法・謀略家。秘密主義者でもあり味方にも策の全容を教えることはなかった。

文翼:隴州牧霍承からの降将。守戦が得意で、さらに民に良く敬愛されていた。

田正(伯直):守戦のプロ、内政も得意で法を良く守り、民に敬愛された。名士層には法に厳格であることを嫌っているものがいた。

劉通:瑜の将軍。諸学に通じ冷静な人柄であった。親族を董翊の乱で失っているため李遼の事を嫌っていた。



程会:紅の壮王、自称程武の子孫。荀令の旧主にあたる、仲が悪かったが……。

杜亮:もともとは武辺者だったが、程会に諭され学問を収め衛晃を討つまでに成長する。

凌瑛(公景):江東の名家の生まれで、程会の友人。程会が挙兵すると彼に付き従い、江東の平定、杜丘への侵攻、延江における周雲との会戦、隴の諸郡奪取においてその優れた将才と智謀で戦功を挙げた。しかし命数に恵まれず四十に満たずに斃れた。姿貌に優れ詩歌や音楽に親しんだ。



霍治:飛の烈王。霍紅珠の先祖。

霍然:飛の恭王、烈王の子。公孫竺に全権を委託していた。

霍義:霍治の養子。将才があり、入飛の戦で武功があった。衛晃が隴南で討たれた際は臨山県にいたが、内通者の手引きで入ったばかりで統治も行き渡らずまた瑜の軍勢が近くにいたため離れられずこれを救援しなかった。後に配下の裏切りにあい飛に戻った彼を待っていたのは死罪であった。三国春秋の著者顧盛は「嫌疑の地にありて、思いは自らを衛るに足らず」と評している。

衛晃:壮候。烈王の義弟。軍神。不滅の真理を悟っていたようで妙に戦で傷を負ってもすぐに戦線復帰してくる。強いのは確かで義侠心に厚いのも確かだが高慢なところがあった。捕虜のために紅領の村から食糧を調達し、兵站担当を叱責し裏切られるなど、その性格がもとで身を滅ぼした。朱麗月曰く史書に残ってない部分でもその武勇は確かで、行政書類をもとに作られる史書では皆から軍神と評される実情が分かりづらいのだとか。荀令も彼を討ち取る際にはその生命力を恐れて何度も刺したくらい、そのせいで荀令は後の講談でボロクソ言われる。

趙襲:霍北軍閥の長の息子。強かったらしいけど霍北での利権を犯されることを恐れ武王に反乱起こして都にいた父を殺される、乱も武王に平定され烈王の許に流れる。まぁ頭が足りない、武勇も丘卑族込みのところがあり、それを切り離すと微妙な所だ。

高丕:烈王の義弟その二。武勇は晃を越えていて戦上手だったが、傲慢で部下と折り合いがつかなかった、その癖目上には媚びへつらう。

公孫竺:恭王の全幅の信頼を受け、全権委任されていた。麗月は彼が嫌いらしい。彼の最後の北伐の失敗とその死で三国全体が厭戦に傾き思帝の提案を受け入れ現在の体制となる。

費厳:公孫竺の死後を支えた名宰相。戦後、飛の発展に大きく寄与した。



霍疑:飛州牧、前韓皇室に連なっている。霍治に領土を攻められ降伏した。統治時代に反乱も多くその才はあまり高くないが、徒に戦を長引かせなかったところは評価されたり、情けないとされている。

霍承:隴州牧、前韓皇室に列なる。彼の死後、跡継ぎである霍琮がすぐに武王に降伏した。

霍琮:隴州牧、霍承の次子であったが、異母兄が病弱であったうえに、自身が寵姫の子であったこと、その寵姫の家が豪族であったことから後を継いだ。すぐに武王に降伏した。

沮圭:本貫の汝は兄のものであったが、辣腕を振るいその勢力は韓と霍とを治めるにいたる。が、周雲に敗れてしまい、後継者争いを残して死亡したため史書では悪く書かれる。配下の扱いに関しては霍紅珠が語っている感じで評は少しずれているのではと。

袁協:霍北の人、武勇に優れ仁義に厚い人物だったが、乱の制圧後の韓朝の腐敗を見てこれを壊さなければと思うようになり都に討ち入り、そこで暴政を振るった。

董翊:涼原郡の人。射御に優れその希代の武勇から飛将とあだ名された。袁協に付き従っていたが侍女と密通し、密告を恐れて袁協を殺した。その後、珠郡で兵を興し周雲を苦しめたが数多の策の前に敗れ斬られた。

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